■ボサノヴァの紹介
誕生の背景
ボサノヴァが流行っていた50年代後半から60年代にかけては、経済的にも豊かな人々がたくさんおり大学への進学率も高かったそうです。そういった豊かな人々の間に生まれた音楽がボサノヴァです。レコードなどを通して様々な外国の音楽が入って来るにつれて、自分たちが聞いているような音楽がダサイものに映ってきていました。そのような中で、フランク・シナトラに代表されるアメリカのジャズが大学に通うような恵まれたリオの若者の心をとらえ、彼等を虜にしました。一方で、当時一般に流れていたサンバ・カンサォンはかなりきつい歌詞を持ち、怨歌とも言われる内容がそういう若者には受け入れられなかったのは当然でしょう。そんな状況の中、新しい音楽を求める動きがでてきても何らおかしくないはずです。そして、ボサノヴァは生まれたのです。
ボサノヴァ認識の複雑さ
「僕の音楽の80%はボサノヴァと関係ない」と言ったのは、アントニオ・カルロス・ジョビンです。ボサノヴァのイメージの強いジョビンですけれど、その音楽は確かに20%ぐらいしかボサノヴァは無いです。初期の作品、シルヴィア・テリスに提供していた曲や、ドロレス・ドゥランと作った曲などはサンバ・カンサォンですし、時代が過ぎるにつれてジョビンの音楽はボサノヴァから離れていっているように思います。
では、ジョアン・ジルベルトはどうでしょうか?確かに、彼のギター奏法はボサノヴァ奏法の代名詞でしょう。ですけれど、彼がやっている音楽を見てみると
ほとんどがサンバですね。ジョアン・ジルベルトは積極的に参加したと言うよりも、たまたま彼の演奏方法が若者達の目にとまったと言うべきでしょうか。ジョアン・ジルベルトは彼の尊敬してたミュージシャンと同じような音楽をするためにあの演奏方法を作り出した。だから、リオの若者との意識の違いが彼の録音した曲目に現れているように思います。それは、2003年のライブの曲目を見ても分かることでしょうが。
カルロス・リラやホナルド・ボスコリ、ナラ・レオン、ホベルト・メネスカルらのような若者が、そういう意味ではボサノヴァのミュージシャンになるのかもしれないですね。ボサノヴァは中産階級を象徴する大学を通じて若者に広まり、やがて社会的なムーブメントになりました。ナラ・レオンのアパートはそういったミュージシャンのたまり場になっていたから、いろんなところで話が出てくるわけです。
結局のところボサノヴァとはなんなのかと問われると、「ジョアン・ジルベルトのバチーダだ」としか言いようがないですね。一般に認知されているボサノヴァのアーティストは、それぞれに目指しているものは違うように思えます。そんななかで唯一アーティストを結びつけているのはジョアン・ジルベルトのバチーダぐらいのものです。とりあえず、あの演奏スタイルにこだわる音楽がボサノヴァと言うことで落ち着くのではないでしょうか。そうなると、ボサノヴァがサンバの一形態でしかないということになってしまうのですが、ブラジル人のミュージシャンに聞くと、やはりボサノヴァはサンバの一つの演奏形態だと言うことです。
ボサノヴァについて知るための本
ボサノヴァの歴史
ボサノヴァの歴史外伝 パジャマを着た神様
ブラジリアン・サウンド―サンバ、ボサノヴァ、MPB
ブラジル音楽のすべて
アントニオ・カルロス・ジョビン―ボサノヴァを創った男
ユリイカ 1996年6月号
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