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■ポピュラーミュージックの誕生

ブラジルで一番最初のポピュラーミュージックは、モジーニャであるとされる。同時にモジーニャはブラジル独自の音楽の中でもっとも古いものである。簡単に誕生の流れを説明すると、ポルトガルから伝わったモーダが、アフロ・ブラジルの音楽(バトゥーキ)と混ざり合って生まれたのがモジーニャである。

モジーニャは、庶民やムラートの間から生まれ、その音楽形式を確立したのはドミンゴス・カルロス・バルボーザというムラートの聖職者である。ドミンゴス・カルロス・バルボーザがリスボンのサロンに招かれて演奏したことなどから、モジーニャはポルトガルに伝わり、そのセンチメンタルな部分がファドの原型になったといわれている。

また、ポルトガルの音楽家たちは、自分たちが勉強していたイタリアの音楽を取り入れたポルトガル風のモジーニャが生まれた。このモジーニャは、ナポレオン戦争から逃れてポルトガル王宮がブラジルに遷都した折りに持ち込まれ、ブラジルのモジーニャに影響を与えた。 メディアの発達していない時代においても、このように音楽の交流があったとは驚く限りである。モジーニャは社会階級を越えて広まり、上流階級にはピアノを用いた上品なスタイルで、庶民の間ではギターなどの弦楽器を用いたスタイルで演奏された。

モジーニャと同時期に発生した音楽にルンドゥがある。黒人奴隷によってアンゴラから伝えられた踊りと、スペイン、ポルトガルのファンダンゴが混ざり合った踊りを持つルンドゥは、当初は卑猥なものと見なされていた。ダンスに誘う時、アフリカ系の踊りではへそをくっつけあう仕草(ウンビガーダという)を行ったが、ポルトガルから来た人々にとっては卑猥に映り敬遠されたのである。

しかし、次第にルンドゥは上流階級にも伝わってゆき、18世紀末にはルンドゥはブラジル国内のみならず、ヨーロッパの王宮にまで影響を与えるほどになった。 時が進むと、地方の有力者が、ヨーロッパ伝来の宮廷舞踊を忘れ、ルンドゥしか踊れなくなったことを嘆く文章が出てくるほど、高い地位の人間にも浸透していたのだ。ルンドゥもまた、上流階級と庶民において異なったスタイルを持つ。上流階級はピアノやギターで演奏され、庶民の間では手拍子を使った早い曲が演奏された。

様々な社会階級でモジーニャやルンドゥが演奏されたのには、2つの理由が考えられる。一つは奴隷制度、もう一つは、知識人を中心にムラートとの交流を持ったことである。黒人奴隷が料理を作り、また、乳母をつとめたことで文化の浸透が行われ、様々な黒人文化が上流階級に浸透したと考えられる。それが、フェイジョアーダのような料理であり、音楽なのではないだろうか。フェイジョアーダに関しては、元は奴隷の料理であったという説に反証がたてられたが、アフリカの影響がないとは言い切れない。

また、19世紀のロマン主義の作家がムラートのフランシスコ・デ・パウラ・ブリットの経営する印刷屋で庶民の音楽家たちと交流を持ったことは有名である。ブラジル最大の作家といわれるジョアキン・マリア・マシャード・デ・アシス、「イラセマ」を書いたジョゼー・デ・アレンカール、「流亡の詩」を残した、詩人アントニオ・ゴンサウベス・ディアスなどの文化人と、庶民階級の様々な器楽奏者が盛んに交流を持ったのだ。こういった交流によって上流階級にまで音楽が広がっていった。

しかし、一方でロマン主義においては、ジョゼー・デ・アレンカールの「イラセマ」に代表されるように、インディオに焦点が当てられ、黒人は依然として偏見に歪められた描かれ方をしている(一部の著作を除いて)。黒人の音楽がブラジル全土に広まったとはいえ奴隷解放前、こういった交流が実を結ぶにはまだ数十年の年を経なければならない。しかし、 こういった交流がショーロ、サンバの誕生に影響を与え、サンバにブラジルを代表する音楽の地位を与えたことは確かである。



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