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■サンバ・カンサォンの伝統性

1920年代以降、多くの音楽やミュージシャンが生まれた。それはラジオ、テレビ、レコードといったメディアが発達し、それに準じてアーティストの需要が多くなったためである。録音技術の確立していなかった当時のラジオ番組は全て生放送であった。ラジオで音楽番組の放送が始まるとアーティストの需要は急増。ラジオ局は専属のアーティストを抱えなければならなかった。当時のファベーラの若者の夢は、サッカー選手かラジオ歌手、それほど人気がある職業だったのである(きっとお金にもなったのだろう)。

メディアの発達は音楽の商業化を促し、カーニバルから離れたサンバが発生した。そして、それが様々な亜種を産みだした。サンバ・カンサォンや、サンバ・ボレロである。一方で、ファベーラでは商業化の波を避け伝統的なサンバを黙々と踏襲する人々がいた。そうやってサンバはその伝統性を保持し続けた。それと同じように伝統性を保持していた音楽がある。サンバ・カンサォンである。一般的に、最初のサンバ・カンサォンはエンリーキ・ヴォジェレールが作ったとされている。それが、レビューで使われて注目を浴びた。その後、様々なアーティストが曲を作りラジオの隆盛と共に発展してきた。それが一般的に言われているサンバ・カンサォン、いわゆる商業ベースに乗ったサンバ・カンサォンである。

それとは別にサンビスタの間にもサンバ・カンサォンは存在している。カルトーラやネルソン・カヴァキーニョらが作ったそれは、20〜50年代に録音されたり放送されたりはしなかったが、ボサノヴァが流行する60年代に入ってようやく注目されることになった。それを伝統的なサンバ・カンサォンと呼べるのかどうかは分からない。

サンバをベースに考えるのならば、伝統性はサンビスタのサンバ・カンサォンにあるだろう。逆に、流行の側面から見るとサンビスタのサンバ・カンサォンは本流とは言い難い。なかなか難しい問題である上に、サンビスタのサンバ・カンサォンはそれほど詳しく記される事はない。

一方で流行歌のサンバ・カンサォンが、ボサノヴァの原型であるために詳しく紹介されるのとは対照的である。それがこの問題を難しくしているのかもしれない。ただ、一つだけ言えるとすれば流行歌としてのサンバ・カンサォンはその定義が曖昧で、存在の危うさをはらむことがある。そういう意味ではサンビスタのサンバ・カンサォンはしっかりとした土台の上にあるのかもしれない。



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