■ブラジルの歴史(その1)
国名無き大地
ブラジルの大地はインディオのものだった。白人がやってくるまでは確実にインディオの文化があった。ブラジルの大地に人類が住み始めたのは紀元前8000年前だという。アジアを起源にベーリング海峡を渡って北米へと移り住み、それが南米に渡ってきたのだという。
彼らの中にはブラジルという国は勿論無かった。部族単位で生活するインディオには国という概念は大きすぎた。彼らには生活領域に付ける程度の名前、例えば、ピンドラーマ(やしの木が茂る土地)、ピラチニンガ(日干しの魚)といったものがあれば良かったのである。
生活が違えば西洋人と所有の概念も違っていた。大地は皆のものであり、生存するために日々暮らしていくことを考えたのである。必要以上を採ることもなく、部族の1人の貧困は皆の貧困という考え方は、西洋文化とは全く正反対にあるものだ。西洋のように隊商を組み巨万の富を生み出すための交易はインディオにはなく、部族同士の友好を深める意味での交換があっただけである。
このようにインディオはブラジルという国がなかった時代に住んでいた。彼らは弓矢や石斧などを用い原始生活を行いながら、独自の風俗・音楽・宗教・文化をはぐくみながら暮らしていたのである。しかし、ポルトガル人がブラジルを発見すると状況は変わってくる。ポルトガル人がブラジルの地を統治する過程でインディオは奴隷とされ、その文化は徐々に衰退していくことになる。
トゥピー=グァラニー語
ブラジルには様々な先住民族がいた、良く知られているトゥピー語系の部族のみならず、様々な言語を持つ部族が生活していたのである。ジェー語系、ヌ=アルアーク語系、カリブ語系などがある中で、ポルトガル人が初めて出会ったのがトゥピー語系の先住民であった。このため、インディオはトゥピー=グァラニー語を話すと考えられ、他の言語の多くの先住民が宣教師によってトゥピー=グァラニー語を学ばされ、トゥピー語系の神を信仰させられることになったのである。
大航海時代
ポルトガル国外の穀物不足を補い、ポルトガル南部以外の地域での砂糖生産を拡大し、アフリカやアジアの金や香辛料を入手して財源とする目的でポルトガルの海外進出は行われた。ヴァスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料が6000%もの利益を上げたことを見れば、大航海時代の海外進出がどれほど魅力的なものであったのか分かるだろう。
コロンブスがアメリカ大陸を発見したことによって、大西洋を西に向かうと大陸があると認識され始めると、新たなる土地を発見するために命令が下されることは確実である。その命を受けたのが、ペドロ・アルヴァレス・カブラルである。カブラルはアフリカ西岸から出来るだけ離れて西方に陸地を見つけ確保するという命を受けて航海を行い、そして、1500年4月22日にブラジルを発見したのである。
ブラジルの探索
発見された当初ブラジルは島であると認識され、ヴェラクルス島と名付けられた。後にマヌエル1世によってサンタクルスの地と命名されることになったが、当初は寄港地として以外は価値のない場所と認識されていた。先住民インディオの生活は農耕、牧畜などを行わない原始的なもので交易が望めなかった事もあり、ポルトガルにとっては大きな価値のない場所であった。そのため30年間もの間、ポルトガルはブラジルに対して無関心な態度をとっていたのである。
ブラジルは発見されたが、何がその地にあるのかは分かってはいなかった。ブラジル発見の報告を携えて帰国したガスパール・デ・レモスの指揮の下、1501年にブラジルの探索が行われることになった。この探索によって貴金属を発見することを期待されていたのである。
この遠征隊は沿岸を探索し様々な場所に名前を付けた。リオ・デ・ジャネイロやトドス・オス・サントス湾、サンセバスチアン島、サンヴィセンテ湾などの様に聖人に由来する名前がつけられた。
|