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■ブラジルと原爆

ブラジル、サンパウロ州にあるオザスコ市で、世界平和を願うシンボルとして「平和記念碑」が建てれられた。広島に原爆が投下された時刻に合わせて、平和式典を行い除幕式が行われた。この記念碑を建設するためにかかった費用約200万円は、オザスコ市民らの募金や広島日伯友好協会の援助などでまかない、日系二世の宮崎文生市議らの尽力によって、このたびの建設にまで至った。また、同市では、一九九七年から八月六日をはさんだ一週間を平和週間に定め、平和パレードや原爆展などを開いており、原爆や平和に対する関心は高かった。

日本と古くから関係があるブラジルであるが、経済的や政治的なもの、もしくは奇抜な事柄、カーニバル、サッカーなどでしかブラジルを紹介しない日本では、このような事はあまり伝えられていない。実際、長崎の平和公園にサントス市から送られたモニュメントがあることも知られてはいないだろう。ブラジルと原爆にどういったつながりがあるのかと不思議に思う人もいるかもしれないが、我々が思っている以上に多くの被爆者がブラジルに住んでいる。世界各国に5,000人以上の在外被爆者がおり、南米には200人以上、そのうちブラジルには200人弱の被爆者が現在でも住んでいると言われている。

日本は古くから移民を行っており、第二次世界大戦後も国は率先して移民を行った。その中に原爆の被爆者も含まれていたのであるが、移民政策は様々な所で批判されているように、移民無策であり、棄民政策であった(ここでは割愛するが)。その上、1994年に出された原爆被爆者保護法における国の方針は、日本に在住していることが保護される資格であるとは書かれておらず、国籍を問う条項も無いにもかかわらず、日本に居住、滞在していなければ被爆者援護法は適用されないという方針をとってきた。被爆者であっても、税金を払っていないかぎりは社会保障の対象にならず、社会保障は住んでいる国の政府によって行われるべきであると考えているからである。さらに、七四年に当時の厚生省公衆衛生局長が出した「日本の領域を越えて住まいを移した被爆者には、法律の適用がない」と言う通達を根拠に、在外邦人に対しての適用はされなかった。

無論、その政府の姿勢に在外の被爆者が納得するはずもなく、在韓被爆者である郭貴勲氏や在ブラジル原爆被爆者協会の森田隆氏などが、裁判を起こす結果となった。日本政府の考え方に依ると、在外者が治療を受けるためには日本に滞在する必要があり、日本にいる限りは様々な手当も受けられるが、ひとたび出国すると、それらの支援がうち切られるのである。この不可解な状況に対して世論の高まりもあり、1994年に出された原爆被爆者保護法についての検討会を、2001年に坂口厚生労働大臣の主催で行ったが、渡日しての治療を推進しただけにすぎず、在外者への手当の支給もされることがなかった。社会保障制度が日本ほど発達していないブラジルにおいての治療は大きな負担であり、かといって、24時間以上かかるブラジルからの移動は、高齢の被爆者にとってはかなりの負担になり、かえって体調を悪化させる原因ともなり得るだろう。前述の裁判などにおいて、在外被爆者への援護法適用を認める判決が出されたが、国は74年の局長通達を根拠に適用を拒んでいる。

小泉総理は、今年8月6日に開かれた「被爆者団体から要望を聞く会」を「十分に実情を理解している」という理由から欠席している。しかしながら、先に挙げたように実情を理解していないとしか思えない状況が眼前にある。

【2002年8月9日】

 

 

 



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